(送付先)
環境大臣

小池百合子

林野庁長官

前田直登

文化庁長官 河合隼雄
北海道 知事 高橋はるみ
2004年12月20日
北海道自然保護連合
社団法人北海道自然保護協会
代表 寺島一男
会長 佐藤  謙
知床世界自然遺産候補地の保全に関する要望書
 先般、知床世界自然遺産候補地の保全に関して、世界自然保護連合(IUCN)のデビッド・シェパード保護地域事業部長より、環境省に対して「推薦地の海域部分と漁業」及び「河川におけるダム建設」等についての書簡(以下「IUCNのコメント」)が出されました。この書簡に対し環境省は、林野庁・文化庁・北海道と連携の上での回答(以下「回答」)として日本の見解を伝えましたが、その内容は知床を「陸域と海域の生態系のつながりとその健全性」にあると特色づけた推薦趣旨に照らし、きわめて不十分です。
 現在、世界の自然環境に関する保護の潮流は、先月タイ・バンコクで開催されたIUCN世界大会の議論に象徴されるように、海洋保護が最重要課題になっています。海域の保護は、陸域の保護と不可分であり、とりわけ両者の生態系のつながりをどう保全するかが大きな課題となっています。その意味で、知床における自然遺産の保全のあり方はきわめて重要であり、世界的にその真価が問われていると考えます。
 また、推薦書の世界自然遺産候補地管理計画に示されたように、保全を目的とし専門家を結集した科学委員会が設置されているにもかかわらず、IUCNへの回答に際し、同委員会における討議と意見を十分に反映することなく回答したこと、さらに同委員会が提出した意見書を公開の原則から速やかに公開することを求めたにもかかわらず公開を著しく遅らせたことは、この問題の論議のあり方に大きな問題を残しました。
以下にIUCNコメントで指摘されたダム問題を中心に、検討と改善の要望をまとめました。知床における環境保全のあり方は、ダム問題を含めた日本の環境保全の今後のあり方を示すだけでなく、海洋国日本の海域保全のあり方に一筋の道をつける先例になると思われます。世界自然遺産の登録を通じてその理念生かした21世紀にふさわしい新たな枠組みをつくることを強く要望いたします。

IUCNのコメントが「河川本来の流れとプロセスの回復と維持」を基本に、河川工作物(ダム)に対し「将来的に撤去も含みうる」検討の視点を提供しているにもかかわらず、「回答」は「河川工作物については、住民の生命や財産の保全のため、必要な箇所に限って設置した」こと、そして「土砂流出や山腹の崩壊を防ぐことにより森林の育成基盤を保全する機能や、土砂災害を防止する機能を果たしている」ことを主な理由に、撤去を視野に入れることなく魚道の設置で解決を図ろうとしています。
 魚道は、河川の生態系保全からみると、緊急やむを得ない場合の非常手段であり、魚道が設置されることによって基本的な問題が解決されることはありません。多くの魚類専門家は、旧来の砂防ダムや落差工につけられた魚道が、魚類の遡上・下降行動を含む生態に関して十分な検証が行われないまま新たな工事が上乗せされている、砂上の楼閣に似た、悪しき現実を指摘しています。現状の河川工作物に魚道を加えることによって、河川の環境を更に悪化させる可能性も含んでいます。河川工作物がもたらす河床低下と河岸崩壊は、魚類を含む河川生物の生活を阻害するだけでなく、土砂の流出が沿岸地域に広く影響するという問題点が指摘されています。従って、砂防ダムの撤去を含めた検討は、本来の河川と沿岸海域の環境を回復させる上で外すことのできないプロセスです。

.現在、知床の推薦地には44本の河川があり、そのうち9河川に計50基の砂防ダムが設置されています。すなわち岩尾別川(13基)、ポンプタ川(7基)、ルシャ川(3基)、オショロッコ川(1基)、相泊川(2基)、モセカルベツ川(6基)、オッカバケ川(2基)、チトライ川(2基)、羅臼川(14基)です。これらのダムの中には、設置後年数が経ち、自然条件も社会的条件も変化して当初の機能を果たしていないものがあります。一例をあげると、ルシャ川のあるルシャ地区は、現在、国立公園の特別保護地区に編入されていますが、いまは編入された当初に比べ土地利用が住民の生命を守る必要がない情況に大幅に変わっています。従って、この例のように特別保護地区にふさわしい河川環境づくりが必要です。
 また近年、砂防ダムによる水質の悪化や下流における河床低下、沿岸海域に流出される泥水など、初期の建設時代には想定されていなかった問題が次々と指摘されています。改めて科学的な見地から砂防ダムの言われるような効用とは別に、その機能について総合的な再検討が必要です。河川ごとに個別のダムごとに検討を加え、その結果を踏まえて撤去できるかできないか、その影響や見通しなどが検討され対処されるべきです。
.知床半島における陸域と海域の生態系のつながりは、世界遺産の推薦書が示すように絶妙なバランスの上に成り立っており、これら両域の生き物は陸域と海域の深い相互関係によって支えられています。IUCNのコメントも、世界的に希少な海鳥の生息地もヒグマの生息密度の高さもこれら両域の相互作用に依存しており、何よりもこの地域の根本的な重要性はこの相互関係にあるとしています。
 「回答」は、現在、サケ・マスが遡上する可能性のある河川について、「サケ・マスの遡上と産卵の有無等の状況を把握する補完的な調査」を行っており、この調査の結果を踏まえサケ・マスの河川工作物による影響評価を実施するとしています。そのこと自体は否定されるべきことではありませんが、そのことをもって河川の生態系に対する工作物の影響を推し量ることはできません。サケ・マスを含むすべての川の生き物にとって河川工作物がどのような存在になっているか、その調査と検討が必要です。また、河川工作物に起因した河床低下と河岸崩壊によって生じる土砂流出が沿岸海域に及ぼすという影響についても、現状調査と検討が必要です。
 IUCNのコメントが、「人間の福祉や生活に深刻な危険を及ぼさない場所」における河川工作物の撤去を示唆していることは、陸域と海域の生態系のつながりが従来的な手法では「長期的な持続可能性の確保」ができないことを心配しているからです。

.IUCNのコメントがまた、推薦地の海洋部分が沿岸から1キロメートルしかなく、国立公園区域の「普通地域」に区分されており、これでは緩衝地帯としての役割しかないとして長期的に「代表的な海洋保護区」の設定を提案しています。「回答」は漁業活動がすでに資源管理型漁業に努めていること、放流事業等の保護増殖活動をしていることなどを挙げ、今後5年から10年を目処に安定的な漁業の営みと海洋生物や海洋生態系の保全を両立させる「多様型統合的海域管理計画」を策定するとしています。
 しかしながら近年における海洋生態系を含めた海洋生物の変化は著しいものがあり、先のIUCNの世界大会では公海上での漁業規制すら提案されています。専門家の報告によれば日本では害獣視されるトドも、繁殖地である千島列島の個体群は1960年の約5万頭から1980年後半には約1.3万頭へ、そして現在の約5000頭へと大激減し、国際的にはレッドデータ種(絶滅危惧U類)になっている現状があります。
 そのために餌となるスケトウダラなどの漁獲規制を即行うのがよいかどうかは科学的な検討の余地があるとして、海洋生態系の保全にもっと積極的に取り組まなければならないことは明らかです。海洋生態系の保全が海洋生物の保護につながり、ひいては持続可能な漁業の確立につながることを考えると、「多様型統合的海域管理計画」をさらに一歩推し進めた新たな海洋保護区の検討は重要です。トドとは別に、知床沿岸海域におけるイルカ、クジラ類についても、漁業による混穫量すら実態が調べられておりません。従って、海域生物と漁業に関わる広範な実態把握に基づいた、新たな海洋保護区の検討が必要です。

.このように、推薦地における河川とその周辺海域における保全のあり方一つ見ても、問題は多岐にわたっており、科学的な知見や手法、関係する多くの住民・漁民の合意、自治体を含む関係行政機関の協同が必要です。科学委員会については、現地の事情に詳しい第一線の研究者が多数参加しているので、まず、その機能を十分活かすことが重要であり、候補地全域の健全な生態系の維持のためには、全域を網羅する実態把握・現状調査と科学的な検討を絶えず続ける体制にすることが必要です。それと同時に、科学委員会に上述した関係者等が加わって、知床の自然遺産を総合的かつ適切に管理運営できる常設機関を設けることが必要です。
 併せて情報の公開と住民の参加を積極的に行い、知床の世界遺産の価値が地元住民をはじめ広く多くの人々に深く理解され、それを保全する日常的な活動が活発になるしくみづくりも必要です。いま、ここにいたって従来的な枠組みの中で知床の世界遺産を処理するのではなく、世界遺産の理念にふさわしい、もう一段高い枠組みからの保全が必要と考えます。
閉じる